「なぁ」
時の流れほど無情で残酷で無慈悲なものはない。
早くも二週間が過ぎた。
新年の決意は、僕を前に進めてくれているのだろうか。
「なんだ」
スシネコは、めずらしくおとなしく本を読んでいた。その姿勢だけは相変わらず態度デカいが。
「覚悟って何だ」
「なんだ突然藪から棒に」
「まさか、今までないことに気づいてなかったわけでもないでしょう?」
「そんなこと言ったら我らは無いものだらけだ。無い物を築くのが早いか、あるもので勝負を切るか。どちらが早い?」
「スタートが出遅れたから言ってるんだ。僕に今必要なのはエースかジョーカーだ」
いくらもってても使えなければ意味がないだろうに、と、スシネコは深いため息をつきながら重たそうに体勢を変えた。 
「わからないんだ。その先に何が待ち構えているのかわからない。何を知っていればいいのかわからない。そんな中で決める「覚悟」ってのにはどういう意味が込められるんだ」
「未来がわからないのに決める必要があるとすればその判断材料は過去にあるんだろう。となれば、退路を断ち切る勇気、か」
「退路を断ち切って踏み込んだ先でくじけてしまったら、待っているのは嘲笑と失望だろう?」
「くじけてもまた立ち上がればいいだろう」
「「お前は死ぬ覚悟があるのか」と言われてうなずき、その先にゴジラのようなあまりにも強大すぎる敵がいたら!? もはやその覚悟は勇気ではなく無謀としか言いようがないものだとしたら!?」
情けなくもなる。考えれば考えるほど、自分が臆病者であることを知らされる。
今研いでいる刃が、だんだん自分を殺すために研いでいるようにさえ感じてくる。
「……それでも、そのゴジラとやらに踏みつぶされるその瞬間にでも、その道に踏み込んだことを後悔しないこと。じゃないだろうか」
スシネコは表情一つ変えず、その言葉は凍傷を起こしてしまいそうなほどに冷たかった。
悔しかった。現状に満足したくない。もっともっと上へ行きたい。もっともっといろんな世界を見たい。その気持ちに揺るぎはない。
なのに、今その決断を迫られて自分はひるんでいる。
まさか。今の自分では、踏み込んだことを後悔するとでもいうのか。
まさか! まさかッッ!!
なのに、否定の言葉は飛び出して来てはくれなかった。
「日本は狭い。世界を見ようと思ったら必ず船か飛行機に乗らなければならない。乗るためにはチケットを買わなければならない」
スシネコは、テーブルの上に乗ってきた。同じ高さの目線が、いやに高く見える。見下ろしてくるようにさえ見える。
「その覚悟という名のチケットを、買わなければならないところまで来たのだ」
視線が痛い。
心の中でバラバラになっていた言葉を、無理やりつなげてくるようだった。
「……帰国したら、笑われるかな」
「だろうな。だが他人の評価の価値を決めるのは自分だ」
ボサボサの尻尾が、ゆらりと揺れる。
何だ。前足、揃えて座れるんじゃないか。まったく、どんな顔して僕を見ているんだい。
「恐れすぎじゃあ、ないのか」
わかってる。
かといって、それを放棄するように考えずにいることはしたくなかった。できることなら、その恐怖を飲み込んで見せたかった。
それが、できなかった。
「……港も空港も、一つじゃない。同じチケットが必要だが、別のところから出国してもいいんじゃないのか。少なくとも、今そんな状態で、見えている出国ゲートから発つのは、悪い予感しかせん」
気が付けば、時間がないと、技量が足りないと、僕は自分にわかっているふりをした言い訳をする。
そうだ。無いんだ。
足りないものだらけだ。
足りないものは、あるものからカバーしなければ
あるものを糧に、築かなければ。
あるものを、使わなければ。

「落ち着け」

スシネコは、僕の頭にその生意気な手を乗せた。
それが今は、悔しくもありがたかった。
何も考えずにただその世界の鮮やかさを見ていた幼少のころから、ずっと言われ続けてきたことを、もうそろそろ、できるようにならならなければならない時が来たのかもしれない。

ごめんな。
迷いなくそれを手にするには、僕はあまりにも臆病だった。あまりにも不器用だった。
欲しいものがたくさんありすぎて、僕は手を広げすぎている。
まずは落ち着いて、絞らないと。
僕の腕は、二本しかない。